Jeffrey E. Jacobson


ジェフリー E. ジェイコブソンはブロンクスに生まれ、19歳でフォーダム大学にて哲学の学位を取得。ブロードウェイに位置するクライテリオン&エンバシーシアターのマネージャーとして活躍しつつ、苦学して大学を卒業しました。ニューヨーク法科大学院に在学中、1980年秋に発行された「コミュニケーションズと法律」において発表、ニューロ―ク法科大学院とペース大学法科大学院出版で連載された著作権と公正利用に関する論文を提出し、ASCAP(米国作曲家作詞家出版家協会)のネイサン・バートン追悼大会で優勝しました。1980年、23歳でニューヨーク法科大学院を卒業。ジェフリー ジェイコブソン氏は、ニューヨーク州とコロンビア特別区の法曹協会メンバーであり、連邦事実審裁判所と米国国際貿易裁判所に加え、連邦最高裁判所、連邦高等裁判所において業務を行うことを認められています。以前は、音楽の認可、パフォーミングライツを管理する組織であるSESAC(欧州舞台作家作曲家協会)において弁護人を務めていました。

ジェフリー氏はその活発な講演活動でよく知られており、米国音楽著作家組合、作曲家組合、メディアアートセンター、フォーダム大学、ペース大学、デトロイト法科大学院、米国音楽家連盟、ニューヨーク法科大学院のメディア法プロジェクトセミナー、中部アメリカ音楽委員会、カレッジミュージックジャーナル年次大会、フィラデルフィア音楽委員会、ブラックラジオ専属委員会などといった数多くの機関において講演をしてきました。幾つかの講演の様子は、米国法律協会と、ロングアイランドのセントラル・アイスリップに位置するトウロ法律センターによって配給される定期刊行のオーディオ・カセット、「オーディオ・ローヤー」内で発表された「舞台芸術における著作権」と題された講演を含め、ビデオテープやカセットで見聞きすることができます。

上述した優れた功績の数々に加え、ジェフリー氏はニューヨーク市法曹協会の著名なエンターテインメント法委員会に従事するとともに、N2K特別対策本部としてのみならず、商標と不正競争委員会、及びCLE(弁護士生涯教育計画)の教授陣を務めていました。また、米国法曹協会の知的所有権法部門において分科委員会委員長として幾度も出席し、「衛星」、「著作権の更新」、「著者に対する著作権法の応諾」といった議題に関する報告書を作成しました。ジェフリー氏はニューヨーク音楽対策本部顧問委員会の一員でもあり、ブナイ・ブリス(ユダヤ人文化教育促進協会)の舞台芸術部、副会長として務めていました。二十年以上にわたり米国著作権協会のメンバーであり、1989年より刊行されている協会機関誌の編集委員会として長年従事しています。目下、ジェフリー氏は協会のウェブ委員会同席議長であるとともに協会理事を務めており、執行委員会の一員として活躍しています。また、米国法曹協会の若手法律家部門によって行われた、都市型知的財産権セミナープログラムを創設しました。数多くのエンターテインメント法委員会に出席しており、殊に著作権裁判関連において活発に活動しています。ジェフリー氏は、その他多くの公民、及びエンターテインメント団体のみならず、ロックの殿堂、ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス、オーデュボン協会のメンバーでもあります。ジェフリー氏は現在、ミュージックビジネス契約を学べる、ニューヨーク、ディックス・ヒルズのファイブ・タウンズ大学で臨時准教授を務めています。また、同大学では、かねてより著作権と音楽出版に関する教育も行われています。

弁護士に成る以前、ジェフリー氏は幾つかのバンドを結成しており、レコード会社のコンサルタントとして従事するとともに、音楽プロダクション会社の社長、広告グループの副頭取、音楽出版会社二社の社長として活躍していました。彼の名は、その他多くの国内外の伝記作品のみならず、「米国のフーズ・フー」、「世界のフーズ・フー」、「米国法業界のフーズ・フー」、「エンターテインメント業界のフーズ・フー」、「米国新興指導者のフーズ・フー」、「東部のフーズ・フー」といった紳士録に掲載されています。